引き出しに眠っている酒杯が古い時代のもののようなので調べてみた。
10年程前だろうか。瀬戸を歩き瀬戸焼を見ていた時に、美しいデザインの酒杯を見つけた。
価格が表示されていないので店主に聞くと「非売品」だという。売っていただけるか聞くと、どこかに電話をかけて価格を確認した。店主の知人のものが飾られていた。「5,000円でいいそうだよ。お得だと思うよ」と言われ買った。
箱入りで、酒杯の裏に「九谷雪花」とある。とすると九谷焼なのだな、というくらいに知識は乏しい。
「雪花」というのが手がかりになるのではないか。
ネットで検索すると「九谷焼解説ボランティア」というホームページに載っていた。
「雪花」は相川雪花というらしい。
それによると「慶応2年(1866)生、大正8年(1919)歿
相川雪花は、飯山華亭に陶画を学び、「雪花」と号しました。雪花は、明治35年(1902)頃から、石野竜山、大桑慶太郎、水田生山らとともに、金沢九谷の名画工として名を連ねた一人でした。
大正3年(1928)、金沢での大正博覧会で石野竜山と共に入賞し、また大正5年のサンフランシスコ万国博覧会への出品を依頼されるほどの名工でした。」とある。(※大正3年は1914年なので、1928年の記述は誤り)
100年以上前のものであることがわかった。
もう一つ気になったのは、このデコボコした技法である。
青い粒粒は「青粒(あおちぶ)」と言うらしい。何を使っているのだろう。
金の部分はベンガラ(酸化第二鉄を主成分とする赤色の顔料)で盛り上げ、筆で金を塗っている。
その技術は継承され、今でも青粒の九谷焼は購入することができる。名工の作品を見るとため息が出る。粒を均一に細かく描いたものほど価値があるようだ。
「KOUGEI JAPAN」のホームページによると、九谷焼は1655年に始まったが、100年で窯が閉じられ、その後1807年に再び歴史が始まったとのこと。
加賀100万石は徳川に次ぐ2番目で、芸能・工芸に多額の資金を投じることで、謀反の意がないことを幕府に示していたと何かで読んだことがある。それが伝統の礎になったのだろう。
九谷焼の酒杯がもう一つある。九谷焼だから買ったのではなく、美しいデザインに目が留まり、骨董屋で買ったものである。
酒杯を買うのは酒をより楽しむためで、この九谷焼には作者の名前もないが、酒を入れるとさらに美しく輝くので気に入っている。
金沢は新幹線開通後、多くの観光客が訪れるようになり、逆に私はそのことにより足が遠のいたが、「九谷焼」という明確な旅の目的があれば、多少の混雑には耐えられるかもしれない。
酒杯と酒との出逢いを求めて彷徨ってみようか。
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