本がともだち

哲学

再び本を買うようになった。

学生だった1980年代は本を所有することにもいささかのステイタスを感じ、本は図書館で借りるのではなく買うものだと、そんな生活を続けていたら、実家の六畳間は私の書庫になってしまった。

床が抜けてしまうので本を処分するよう母に言われているが、遅々として進まない。今住んでいる家には高さ180㎝幅90㎝の書架でいうと5本分の本があり、大型本でもない限り前後に重なり、思いついたテーマについて本を抜き取るのも容易ではなくなった。

ネットで本を買うとAIが学習し、本を推薦する。好奇心の連鎖が起こる。

須賀敦子

図書館に予約して取り寄せた「霧のむこうに住みたい」須賀敦子,河出書房新社,2003は、AIの推薦本だった。誰の本がそこに結び付いたのか、数日前のことながらわからなくなっている。

この20年前のエッセイを読んでいて、また一人、深い縁ができてしまったと思った。香りがあるというか、失った大切なものがそこにあるというか、古い外国映画の時間に包まれているような感じがする。

この人の本なら買ってもいいと思った。「須賀敦子を読む」湯川豊,新潮社,2009を注文。全集までたどり着くだろうか。楽しみが一つ増えた。

読み方が若い頃と変わったのは、本に求めることがはっきりしたことで、人生の残り時間がわずかとなった今、面白くなければ途中でも放り出す。お金を出して失敗すれば、それが心に刻まれ血肉となる。

西行

西行については、以前難航していた「西行」白洲正子,新潮社,1996がすっと読めた。角川ソフィア文庫「西行」、岩波文庫「西行全歌集」、「西行・山家集」井上靖,学習研究社,2001が役に立った。読み終えて書架を探すと「白道」瀬戸内晴美,講談社1998、「西行と清盛」新潮社,2011があった。まだまだ楽しめる。

「西行」高橋英夫,岩波書店,1993が届いたので読み始める。西行の歌の解説は「そう言われればそうだなぁ」という程の理解力でしかないが、今はそれでいい。

芸能

歴史小説を読んでいると、田楽、猿楽、今様、狂言、能といった芸能のシーンが登場する。それが最近気になり知りたくなった。そもそも私はそれらの区別が全くつかない、というか観たことがない。

「乱舞の中世」沖本幸子,吉川弘文館,2016を取り寄せて読み始めた。「白拍子」「乱拍子」というのは、もともとはリズムの名だったと始まり、芸能の起源、歴史がわかりやすい文章で書かれている。

白洲正子の「西行」を読み、この人についてももっと知りたいと思い「世阿弥」講談社,1996を同時に読み始めた。骨董についても著作があるようで、永く楽しめそうだ。

図書館で借りた「世阿弥最後の花」藤沢周,河出書房新社,2021を読み始める。「能から紐解く日本史」大倉源次郎,扶桑社,2021で理解を深めたい。

美の世界

西行の心や芸能のリズムや体の使い方、民芸。そういったものはどこか根底でつながっているように思う。人間の無意識にとどまらず、ユングが言うような普遍的無意識にある美の世界かもしれない。もやもやっとして上手く言えないつかそれがわかるようになりたい。

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