清村好洋 日本人形 11月26日

懐かしい時を求めて

妻が日本人形の置き場所に困っていた。5年ほど前に知人から譲り受けたものらしい。

顔を見て技術の高さを感じた。立派なものに違いない。

瞳もまつげも美しい。

瞳のまわりは、海の色を湛えた幼子そのものである。

角度を変えると表情も変わり、生きているように思えてくる。

左側から見るのと右側から見るのでも少し違う。

上から見るとあどけなさを感じる。

名のある人が作ったものではないかと調べてみる。

しかし、この崩し字がわからない。

好●作…好●…●は一体なんだ?

グーグルて崩し字検索をしたところ、「洋」のようだ。

「好洋」

人形師「好洋」

中部人形節句品工業協同組合のホームページによると、「好洋」は、㈱好洋の2代目・清村好洋。浅草本所で修業を積んだ清村金豊が明治40年(1907年)に独立し(初代)、大正初期に2代目・清村好洋が名古屋に技術を伝承するため「好洋」という屋号を掲げたとある。

現在は昭和25年生まれの3代目・清村好英が受け継いでいる。

この人形は雛人形ではないし、五月人形でもない。(一社)日本人形協会のホームページに「製造方法による種類」があり、市松人形「少年少女の姿をかたどった人形です。頭や手足は、木彫り、または桐塑(とうそ)などで作られています。もともとは手足が自由に動き、抱いたり、座らせたり、衣裳を着せ替えたりして、子供たちが遊ぶための人形でした。しかし、最近では、むしろ鑑賞用の人形として親しまれています」ではないかと思ったが、はっきりしない。

分類はさておき、家の中にあった美しいものを再認識できてよかった。

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