見守り手当

家族

日曜日は実家の母を見守る日。もうすぐ2か月になる。

母は食事とトイレ以外の時間はベッドに横になっている。最初の頃は常時母の近くに控え静かにし、母が生きている証を四六時中確認するようにして過ごしていた。トイレの際は転倒しないようピッタリ寄り添っていた。

しかしこの頃は、ただ隣の部屋にいるだけ。トイレも一人でベッドから起き上がり済ませている。やることと言えば、昼食をテーブルに並べ、果物を食べやすい大きさにカットするだけ。誤嚥しないよう見守り、転倒の音がしたら急いで駆け寄る。

日曜日に拘束される気の重さが、美味しいものを食べられる楽しみに変わった。そう、「見守り手当」と称し、昼食は母の驕りで、美味しい寿司や季節のフルーツを食べる習慣ができた。先週は鰻と桃を、今日はスイカを食べた。

1280円のスーパーの寿司はなかなか豪勢で、帆立が大きいのがいい。ただ1日傍にいるだけで美味しいものが食べられる。悪い話ではない。

土曜日の夜は、終日出歩けない状況で何をするか考える。

本を数冊持参する。これは欠かせない。今日は「須賀敦子を読む」湯川豊,新潮社,2009が一番気持ちに沿っている。日本の芸能に関する本と狂言のDVDも持ってきている。ギターの練習もいいし、昼寝にももってこいである。

一緒に寿司を食べながら、理想とする死に方について母と話をした。眠っている間に死ぬのが本人にも周りにも一番いい、という考えに一致した。苦しんで救急車を呼び病院で検査をし、手術や延命治療について医師と話をするのは家族にとっても負担が大きく、いわば私は母に「死ぬときは眠るようにね。頼みますよ」と言っているようなもの。

その母は、見守りに来るたびに元気になっている。

デイサービスの食事を残さないよう努力したところ、家でも食べられるようになり、身体が良くなっているのが自分でもわかる。来年はもっとよくなるねぇと言った。

母は食べることへの執着が強く、数日前、妹から報告があり、寝ていたのが突然目覚め「海老と玉ねぎを煮て玉子でとじたものを食べたい」と言ったそうだ。理由を尋ねたら「夢の中で食べていた」とのことだった。恐るべし食欲である。

食後は横になりプレゼントしたラジオの選曲をしたりている。最初は「とても操作を覚えられない」と言っていたのが知らぬ間に楽しみを覚え、「昨日は狸の話が面白かったよ」と言った。

おや、ビートルズが流れている。へぇ~、やっぱりビートルズは好きですか!と思ったら番組が変わった。

日曜日のこの過ごし方はいつまで続くのだろう。来月の泊りの出張は、不測の事態に備えて取りやめにした。日曜日の飲み会は断った。

気が重くなったら、また新たな楽しみを見つけよう。

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