蓄音機 ニッポノラ(改良扉付)
蓄音機は父のいとこの家にあったものを、蔵を潰す際に処分するというのでインテリアとしていただいた。
3年程前にラジオ博物館の館長にダメもとで相談したところ、見事に再生して帰ってきた。消失した部品は新たに作ってくれた。お金は、かかっていないので要らないという。
「日本蓄音機カタログ」を見ると、この蓄音機は大正時代に販売されたとある。大正時代は1912~1925年なので、おおよそ100年前になる。
価格は「オーク製仕上げ 120円/樟樹製マホガニー塗仕上げ 130円」。三菱UFJ信託銀行ホームページにお金の歴史が載っていて「教員の給料をもとに換算すると、大正時代の1円は現在の4,000程度」とあり、今の価格にすると50万円前後になるだろうか。
カタログに「最近改良した三段の改良扉は1個のネジによって自由に開閉でき、音響の調節に便利です。上部に蓋があるため、回転の雑音を防ぎ、発音を統一的にラッパ口に伝導して一層強大明瞭にしています」とあるのは、次の写真のとおり、扉を開くと振動が外により伝わり音が大きく聞こえる仕組みである。初期の蓄音機には外部に大きなラッパがついていたが、それが次第に内蔵化されていったようだ。でもインテリアとしては外部にラッパがあった方がいい。
右のネジを回して扉を開く。
箱の中はこんな具合になっている。単純な仕組みに見えないこともないが、「では作ってみろ」と言われれてもできるはずもない。
国産第1号蓄音機が日米蓄音機製造の川崎市の工場で製造されたとのことから(1910年)、川崎市川崎区のホームページに蓄音機の歴史が掲載されている。
それによると「蓄音器は、明治10(1877)年にトーマス・エジソン氏によって発明され、音の出る『魔法の小箱』が商品として一般に出回るのは、それから約20年後のことであり、日本には米人の輸入商F・W・ホーン氏を通じて入ってきた」。
整理すると、1877年発明、1897年頃普及、1910年国産第1号製造、1912~1925年頃この蓄音機製造…となる。
ウィキペディアを見ると蓄音機で再生するSPレコードの日本での生産開始が1909年で、終了が1962年となっている。天然有機物を原料に使っているためカビを防ぐのが難しく、1948年頃に登場したプラスチックのLPレコードに替わっていったようである。
SPレコードは分厚で重く丈夫そうに見えるが、力が加わると薄い瀬戸物以上に簡単に割れてしまう。ラジオ博物館でSPレコードを借りる際に、割れたレコードを何枚も見た。
蓄音機と一緒に30枚ほどのSPレコードを親戚から譲り受けたが、再生する機会はそれほどあるわけではない。
いつの日か、どこかに隠れ家ができたら、そこで順番に聴いてみるのもいいと思っている。
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