サイクリング 4月20日

サイクリング

何日も続いていた強風が止んだ。川向こうの町まで走ってみよう。

自転車に乗るのは久しぶり。出かける前に忘れ物がないか入念に点検。パンクすることだってあるぞ。補修材料・工具を持たなくては。そうだ、空気入れがないと困るな。お金を使わないよう水筒を持っていこう。極力眼に紫外線を浴びないよう、ひさしのある帽子とサングラスをしよう。

30分走って茶畑が広がる地域に到着した。気象予報では、気温は昨日よりも5度高く、たっぷり汗をかいた。風が山から吹きおろし、お茶の新芽を撫でながらやってくる。3月まで毎月仕事でここに来ていたが、こんなにゆっくりしたことはなかった。あちこちでウグイスが鳴いているが、姿は見えない。カメラに望遠レンズを装着して来たんだけどなぁ。

裏手に川が流れており、土手に出てみる。ヤマトシジミ、キチョウ、モンシロチョウ、アゲハが舞う。そういえば今朝、庭でツマグロヒョウモンのメスを見たな。

目の端で何かが跳ねた。こんな時期にバッタとは…。虫の先生に報告。ツユムシは越冬するらしい。

花を見て虫を探していたら、あっという間に時間が経っていた。無理しないで今日はぼちぼち帰ろう。

桜並木沿いを静かにゆっくり走る。それでも鳥たちは逃げまどう。ジャコウアゲハが草花の上を舞う。

休憩し、自転車を押して歩き、2倍の時間をかけて帰宅した。硬いサドルでお尻が痛い。

池田晶子の言葉

先日先輩から紹介された池田晶子。「絶望を生きる哲学」講談社2017年刊を読む。プロフィールを見ると私よりも一つ年上だ。「2007年2月23日、大風の止まない夜、癌により没す」とある。

「孤独が充実しているからこそ、言葉も充溢してくるわけで…」

そう、私は孤独だ。しかし、多くの人と会っていた時よりも無駄な言葉を発することが少なくなり、色々な思考や言葉が溢れてくるようになった。創造には孤独の充実が必要だと思う。

「ひとりで飲むというのも、じつにいいものだ。飲みながら味わう自分の面白さったら、それはほとんど『自分』というものの枠を突破しているのを感じる」

飲みながら自分と対話する楽しさ。そこからの自分の行動の面白さ。孤独の充実の一つだと思う。

「落伍感も焦燥感も、他人との比較におけるそれにすぎない。そのことに気づけるなら、病気こそが、自分に還るための稀有のチャンスではなかろうか」

他人との比較を止めるのは簡単ではないけれど、そういう自分を超えたいと思っている。病気はそれぞれ固有だから、自分と向かい合わざるを得ず、そこに大きなチャンスがあるのかもしれない。

「精神だけなら、人は死なないのではないか」

肉体が滅びても精神は生き残るのではないかと思うことがある。ただそれは、今私が精神とするものとは違うものであるように思う。

「本当の自由とは、『自分からの』自由である。自分が誰かであることを、何かに求めるのをやめることだ」

何かに求めずに自分を確認することを、「死」以外に見いだしたい。それができたらどんなに自由だろう。

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