家族を支える1938年生まれの母 8月28日

懐かしい時を求めて

妻、私がコロナに感染し、母にうつすわけにはいかないと気をつけてきたが、あと数日もすれば日常が戻ってきそうだ。

感染当初は、母は私の姿を見かけただけで、ハンカチを強く口に押し当て、自室に逃げ込んでいた。あたかも燃えさかる家の中で、一酸化炭素中毒にならぬよう対策を講じ避難しているようだった。

それが今日などはマスクもせず、妻から「マスク着けて!」と叱られるほどに変化した。もうそんなにきつい言い方をしなくてもいいだろうにと私は思う。

85歳になる母は、真夏でもウォーキングを欠かせず、5キロの米を買って帰ってきたりする。30キロほどしかない痩せた体のどこのそんな力があるのか不思議でならない。10キロの曾孫を数十分抱っこしていることもあり、一体どうなっているのだろうと観察する。

今日も「何か買ってきて欲しいものがあるか?」というので、そのまますぐに食べられる菓子パンをお願いした。味覚はあるが、微妙なところがわからなくなっており、アンパンやクリームパン、揚げパンなどの単純な味のものの方が「味が分かって食べた」満足感がある。煎茶の微妙な味の違いなどは全く分からなくなってしまった。喉が完全に回復していないことも影響しているのかもしれない。

自分がもし一人暮らしだったらと想像し、助け合える家族がいることに感謝の念を大きくした。何れ順番に死んでいき、誰かが残ることになるが、娘が3人いれば、どこかで面倒を見てもらえるかもしれないという希望が持てる。

その時に、母のような体力ある老人でいたい。スポーツと労働で体を作ってきた人だから現在があるのだろう。心筋梗塞で血管が死んだ後に、新たな血管が発生してバイパスを形成した際は、医者が驚いていた。

妻の母だから私の体質とは関係しないが、身近な人が元気でいると、自分もそうあり続けられる気がしてくる。あと30年生きるとすると、まだまだやらなければならないことがあるに違いない。

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