ある温泉の思い出

温泉

青春18きっぷを使って妻と電車に乗り、温泉に行った時のことである。

男湯には学生が3人いて、賑やかだった。私は内湯から露天風呂に移り、静かに海を眺めることにした。

しばらくすると3人の学生は施設の人に誘導され、露天風呂の脇を通り過ぎ、扉の向こうに姿を消した。

扉の向こうは貸切風呂だろうと想像し、最近の学生は裕福だなと思って、再び海を眺めていた。

やっと静かになったので内湯に移って浸かっていると、身体を洗っている人がいて、その人は女性ではないかという気がしてきた。身体の曲線が男性のものとは違っていた。

女性は間違って男湯に入ってしまったのだろう。注意しないといけない。

私は女性の背中に声をかけた。

「あの、ここは男湯ですよ」

振り向いたのは妻だった。

妻は驚いた表情を見せると「どうしてここにいるの?」と言った。

「それはこちらのセリフだ」と、頭が混乱した。

妻の説明によれば、露天風呂の外の海岸に多くの人が出て、外から女湯の露天風呂が見えてしまうので、男女の湯を入れ替えたのだと言う。

咄嗟に私は、先ほど学生たちが姿を消した、露天風呂の先にある扉に向かった。当然の事ながら、鍵がかかっていた。扉を叩き、扉の向こうに向かって「どなたかここを開けてくれませんか?」と言うと、親切な人が扉の向こうに立ってくれたが、「鍵がかかっていて開きません」と言った。

内湯に目を向けると、妻以外の女性が二人、浴室に入ってくるのが見えた。

「あ、男の人がいる!」と一人が言った。

これはまずいことになった。

扉をよく見ると、下に15センチほどの隙間がある。ここを通り抜けられるだろうか。いや無理だ、と思った。扉の下に挟まって身動きできなくなった無様な姿を想像した。

妻が機転を効かせ、施設の人を呼んできてくれた。扉が開き、私はやっと男湯に脱出することができた。

女湯から姿を現した私を、男湯にいた人たちは温かい眼差して見守ってくれた。

もう15年も前のことだろうか。

この話を友達にしたら、友達は一つ頷いて、自分の経験を話し出した。

その友達は間違って女湯に入ってしまったことがあるという。

間違いに気づいたのは湯船に浸かっている時で、静かに湯船から上がり退出したとのことだった。

終始、誰も男であることに気づかなかったと聞き、私は友達を繁々と見つめた。

おじさんかおばさんか、俄には判別しにくい風貌で、それが騒ぎにもならずに済んだ幸運の要因ではないかと思った。

こういう経験は、皆、人に言わないだけで、普通にあることなのかもしれないと思った。

コメント

タイトルとURLをコピーしました