同級生Hの思い出 8月12日

ギター

同級生のHが亡くなって12年以上経った。高校生の時は話をしたことがなかったが、同じ大学に通うことになり接点が増えていった。

Hは仏文科で私は英文科だったし、私の入学は彼よりも1年後だったので、授業で一緒になることはなかったが、「同郷」をきっかけに、彼の周りの人たちとも親しくなっていった。

美味しそうに酒を飲む彼

Hはとにかく酒が好きで、あんなに美味しそうに飲む人をその後見たことがない。地ウイスキーを一升瓶で買い数日で飲み干してしまう。ロックかストレートで飲んでいた。

彼の音楽仲間たちとは昼間から酒を飲んだ。そして私は飲むたび吐いた。急性アルコール中毒で彼に診療所まで担いでいってもらったこともある。

夜も飲み、終電がなくなった後の都会の徘徊は、今となっては懐かしい思い出だ。

彼が住む戸越公園のアパートに引っ越したのは2年の頃だっただろうか。4畳に水道と流しがついただけの和室は、彼の隣の部屋だった。家賃は1か月16,000円。

古い木造アパートだったので遮音性は無きに等しく、彼が目を覚ましたことは、その音を聞けばわかった。流しに並べられた酒瓶が倒れる音と、続く空咳が、彼の一日が始まったことを示していた。

エレキギターを弾く彼

彼はバンドではドラマーだったがギターも弾き、エレキギターをアンプにつなぎ、ヘッドホンで音を拾っていた。乗ってくると壁に体当たりをする。壁を破って彼がこちらに飛び込んできそうだった。彼の部屋のドアを開けてみると「Hちゃん乗ってるかぁ~い?」とライブの真っ最中で、自分で自分に声援を送っていた。

観念して静かにドアを閉めた。

大切にしていた祖母の布団

彼の部屋の窓は冬の夜でも全開に近い。「閉めると息苦しい」と言っていた。仲間とドライブで海に行き鍵を紛失した際は、砂浜で朝までぐっすり眠ったと聞いた。

祖母が作ってくれたという古い布団を大事にしていて「これがあれば温かい。大丈夫」と言っていた。

卒業

社会人になって驚いたのは「酒席で人に酒をつぐ行為」だった。Hたちと飲んだとき、誰も人に酒をつぐことなどしなかった。飲みたいだ分量だけ飲むと言えば理性的に聞こえるかもしれないが、そうではなく酒を奪い合うようにして飲んでいた。最後の1滴を飲み干そうものなら「酒を買ってこい!」と言われるので油断ならなかった。

Hとは大学を卒業すると付き合いがなくなった。

訃報が届き葬儀に参列した。弔辞を述べたかったが、その機会はなかった。

昔の懐かしい顔

釣りのM先生が紹介してくれたチャールズ・ラムの「昔の懐かしい顔」を何度も読むようになった。若い頃、詩は読んでいたが、今は感じるようになった。

「英米名詩選」稲村松雄,荒井良雄,原書房,1981より

私には遊び友達や,気の合った仲間がいた.

子供の頃の友達や,楽しい学生時代の仲間だ.

しかし,みんないなくなった,あの見慣れた顔は.

私はよく笑った,酒を飲んでよく騒いだ.

遅くまで飲み,夜深しをした,愛する親友達と.

しかし,みんないなくなった,あの見慣れた顔は. (以下省略)

Hのエレキギターを数本を友達が引き継いだ

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