心を拓いてくれる人との出会い

文学

この頃、母の友達のTさんに革細工を教えてもらっている。

父が亡くなり、還暦まで何年もある母を、Tさんが「長唄の会」や「民俗の会」に誘ってくれたのだ。

Tさんが面打ちをしていたことを思い出し、能面を直に見てみたいと、母におしえてもらった連絡先に電話をしたのが2か月前。お宅を訪問して能面や革細工などを見せてもらった。革細工はかつて販売していただけあってアマチュアレベルになく、能面の木目を生かした表情にも圧倒された。

革細工はこれから少しずつ技術を習得していくところだが、先日は漆器のおちょこをいただき、本物の凄さについて拙い記録を残したところである。

その時、本の紹介があった。星野道夫の「旅をする木」だった。

星野道夫がどんな人かくらいは私も知っていたが。その本を読み始め、42ページまでに2回、涙がこみ上げた。すぐに注文した。自分の本にして印をつけ、子どもたちに引き継ぎたいと思ったからである。

「神話学者ジェセフ・キャンベルの言葉をよく思い出します。『私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ』」

アンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話として、荷物を担いでいたシェルパのことが書かれている。賃上げするという話をもっても耳を貸さず動かない。尋ねると「私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです」と言う。

神話学者が言う神聖な場所をずっと求め続けもがいていたことに気がついた。それは「創造的な孵化場」であるらしく、今その手前にいると思えば力が湧いてくる。

この本にはいくつも心に刻まれることがある。

「かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えていく」

「アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれは何と贅沢なことなのだろう。クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたなら、それは何とつまらぬ自然なのだろう」

「ひとつの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには、少し時間が必要な気がするからだ」「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする」

「情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ」

やっと半分までを読み終えた。太古の世界が残っているアラスカの自然に包まれ、時に今ある自身の位置を確認しながら読む本だ。読み終えるのが惜しく、すぐに2冊を追加発注したが、全てを読み終えるまではこの時間が続くと思うと嬉しくてならない。

「人との出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます」

母の世界からTさんの世界につながり、そこからさらに世界が広がっていく。

それは偶然のようでありながら、何かに導かれている感じもするのである。

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