漂泊への憧れと読書

一人旅

須賀敦子

須賀敦子「遠い朝の本たち」筑摩書房,1998の一文、「私の中には、旅に出たいと、遠くの土地にあこがれつづけている漂泊ずきの私と、ずっと家にいて本を読んでいれば満足という自分とが、せめぎあっているらしい」に触れ、須賀敦子を初めて読んだ6月に、直感的に長い付き合いになると思った理由がわかった。

須賀さんは子どもの頃、「自分をとりかこむ現実に自信がない分だけ、彼女は本にのめりこむ。その子の中には、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう」ほどだったようだ。

そしてそれらは正しく今の私を表していて、本の世界にのめり込むほど現実との隔たりは大きくなっていく。週に3日ほど仕事をし、5か月経ってやっていけそうな自信がつきはじめた途端、この仕事がほんとうに自分がやりたいことなのだろうかと自問し始めている。

収入がないのは不安でしょう。収入が無くなったら読書や陶芸、漆芸は思うようにいかないでしょう。はい、まずは1年続けないと組織にも迷惑をかけてしまうので頑張りますと、何度も自問自答する。

本の世界、ものづくりをする時間から抜け出し仕事に向かうのは、思っていたよりも難しい。主は本の世界だから。

旅の変化

漂泊

集中的、継続的に旅をするようになったのは、鉄道路線図に記した日を見ると、2008年頃だった。

旅は、観光地を訪れるよりも、知らない町の駅に降り立ち、知らない人たちの暮らしを感じるのが好きだった。

商店街の人と話をして買い物をし、地元に密着したショッピングビルで親に手を引かれる子どもを懐かしく眺め、小さな居酒屋で郷土料理に舌鼓をうち女将や隣に座った人と話をするのが好きだった。

それが今、現実の旅に対する興味が薄れてしまった。外国人観光客で混雑しているからだろうか。ホテルの料金が高騰しているからだろうか。

金沢で在来線の改札を出た時、平日にもかかわらず、新幹線開通後の賑わいにあふれていて、驚いてしまった。市場もどこも人だらけで、私は逃げるようにして電車に乗った。

大阪城を訪れた時は、外国人で埋め尽くされていて、すれ違う人から日本語が聞こえると、日本人がいることに妙に感心したりした。

人混みの息苦しさや、変質してしまった都市がイメージされ、さらには鉄道会社に対する不信なども重なって、漂泊の旅は終わったような気がしている。

想像の旅

遍路

その分、本の世界で旅をするようになった。

四国八十八ケ所遍路はいつ実現できるかわからないが、いつかきっと歩き遍路をしてみたい。

「マイ遍路」白川密成,2023は、今治市の札所の住職による遍路で、地図だけでなく宿の食事の写真や、宿の口コミ情報などが掲載されていて、遍路する時の役に立ちそうだ。

僧侶なので仏教についての語りもある。すると仏教についてもおよその知識がないといけないと思い、「詳説 日本仏教13宗派がわかる本」正木晃,講談社,2020を読む。たくさんの図表があり、手元に置き疑問に思う都度確認することで、忘れっぽい私の脳裏にも知識を植えつけられそうだ。

親鸞と道元の教えの違いについても知っておきたいと思い書店で購入。「親鸞と道元」平岡聡,新潮社,2022。

「僕の歩き遍路」中野周平,西日本出版社,2022を、先ほど書店に取りに行ってきた。口コミ評価が高く、奥付を見ると第2刷である。イラストや漫画も著者が描いていて、1日ごとの支出を記しているのもいい。パラパラと本をめくり鼻を寄せると、新しい本の紙とインクの良い香りがする。時間をかけて読もう。

団体旅行

「団体旅行の文化史」山本志乃,創元社,2021は図書館で借り、手元に置きたいと思い購入。3,520円とちょっと高価だが、332ページで用語索引もあり、面白い本だった。

昭和30年代の東京都の公立中学校の修学旅行の話に、私が住む町が出てくる。

「(出発した日の)昼は、各自弁当持参です。ちょうど静岡から島田あたりでお昼になるんですが、弁当のタクアンかと思ったら、脇の製紙工場の臭いだったのを覚えています」

製紙工場の煙突から流れる臭いは、長年住んでいると感じなくなるが、長期間郷里を離れて戻ってくるとはっきりとわかる。しかしタクアンとは…。いつか再確認したい。

山本志乃が再現する旅

山本志乃さん、面白いなぁと他の著書を調べると、「行商列車」創元社,2015があった。

これは最初から手元に置きたい本になるだろうと注文。列車の中で魚をさばき、はらわたを窓から放り投げた逸話は強烈だ。

山本さんは「旅の文化研究所」に所属しているようで、「絵図に見る東海道中膝栗毛」2006、「絵図に見る伊勢参り」2002,河出書房新社に執筆している。注文する。

絵図を見ていると旅をしているような気になる。

「絵図に見る伊勢参り」は、絵図の各所にたくさんの番号がふられ、細かく解説されているので理解が進む。

好奇心のゆくえ

1冊の本が数冊に波及する。写真は、ここ1か月ちょっとの間に買った本である。

図書館で借りる本もあるが、こうして並べてみると、今の私の関心がどこに向かっているのかが、おぼろげながら見えてくる。「昭和」と「江戸時代」に関するものが多い。

「アメ横三十五年の激史」塩満一,東京稿房出版,1982は、貴重な資料である。「東京ヤミ市酒場」フリート横田,京阪神エルマガジン社,2017は、貴重な写真だけでなく、現在もある店がつまみなどと一緒に紹介されていて、休肝日には目の毒だ。豊富なイラストも吞兵衛を誘惑する。

「日本の民俗 暮らしの生業」芳賀日出男,KADOKAWA(ソフィア文庫),2014は、表紙の写真を見たらもう、欲しくてたまらなくなり、やっと手に入れ先ほど届いたばかり。昔の写真はいい。

「駄菓子屋横丁の昭和史」松平誠,小学館,2005は、同著者の「東京のヤミ市」講談社(学術文庫)が面白かったので買ってしまった。これも先ほど届いたばかり。写真豊富とはいえないが、掲載されている写真を眺めていると幸せな気持ちになる。

「北方の王者 藤原四代」八尋舜右,成美堂出版,1993は、図書館で借りて読み欲しくなってしまった本。源頼朝が、なぜ奥州藤原氏を滅ぼさなければならなかったのか、その動機がずっと気になっていたが、何冊か読んでもわからなかった。それがこの本を読んでスッキリしたのだ。

坂上田村麻呂が登場する8世紀後半から始まっていて、頼朝よりもずっと前の源家と奥州の最初の関りも書かれている。史跡案内もあり、何度も手に取る本だと思っているが、読んだ直後にもかかわらず、かみしめるように再読を始めている。

奥州藤原氏も後北条氏も、清らかさが際立っていた分、滅びは切ない。しかし今の世の中も、清らかなものは滅ぼされ、変わらないのだなと気づく。

「信長燃ゆ」安部龍太郎,新潮社,2004に、明智光秀に対する信長の見立てがある。

「(光秀には欲がなさ過ぎる)」「欲がないために、人の欲にも鈍感なのだ」

美しいものが滅びる理由が、少しわかったような気がした。

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