雛人形を飾った。
3人の娘に雛人形を贈ったのは、娘たちの祖母(私の義母)である。
これは長女の人形。確か、昔ながらの顔をした人形が欲しいと注文をつけたような気がする。
次が二女の人形。長女の人形よりも小さい。家の中の置き場所を考えてのことだったように思う。
次は三女の人形。人形は1人になった。
結婚が一番遅いのは、この人形が影響したか…などと考えたりもした。
次は義母が別の孫に贈った雛人形で、都会で置き場所に困り、我が家で引き取ったものである。
それにしても凄いのは、義母はシングルマザーでダブルワークしながら、これら雛人形を当たり前のように孫に贈っていることだ。「私にはとても真似できない」と妻が呟いた。
義母の姉が長女に贈った人形もある。
娘たちが健康に育ったのは、これらの人形が護ってくれたからかもしれないと考えたりもする。
私達も孫娘に雛人形を贈っている。特別信心深いわけではないが、当たり前に続いている風習の中に「祈り」があるような気がする。雛人形を贈るのは、今でも当たり前なのだろうか。
私の幼い頃の記憶に母の段々の雛人形がある。色々な飾りに漆が塗られていたように思う。その匂いが脳裏に焼きつき、漆器の匂いを楽しむようになった。
次は妻が自分のために買った陶器の人形である。ごくごく小さいが、よく見ると面白い模様だ。
歳をとったせいだろう、最近祈るようになった。「祈る」という心の在り方に安らぎを覚えるようになった。
お遍路、西行や芭蕉の旅、江戸時代の伊勢詣で・おかげ参りなどの本を読み漁り、そこにある「祈り」が少しだけ理解できたような気がする。
祈ることから遠かった私の生き方が変わろうとしている。
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