初めて「やよい」に行ったのは6年前のことだった。
仕事の関係でその日初めて会った人に誘われカウンター席に座った。
それから何度ここに通ったのか、よくわからなくなってしまったが、病院にかかったことがない女将が入院すると聞いた時には、随分と心配したものだ。
その後退院したことを電話で聞き、さらに1週間ほど前に店に来てくれと電話があり、女将の顔を見に行かねばならぬと、暖簾が掛けられる前にカウンター席に座った。
夕方6時。以前勤めていた職場が近くにあり、多少見知った顔が外を通り過ぎる。
うだるような暑さにエアコンを入れて欲しいと思いながらも我慢する。辛抱することが私には必要だ。
まずはビールにしておこう。
久しぶりの再会に女将が喜んでいるのを見てこちらも嬉しくなるが、話は後にして早くビールを出してくださいと今日も思う。
話しの腰を折り「ビールお願いします!」と2回目のお願い。
「そうでしたね」と女将は冷蔵庫に近寄ったが、「あ、おしぼりを出していませんでした」とビールが後回しになる。おしぼりよりもビールです、いや、順番はおしぼりが先かと生唾を飲みこんでじっと待つ。
「お刺身食べますね」「はい食べます」
今日は女将に会うことが目的だったが、冷酒を飲むことも大事なことだった。
地元大村屋酒造場の若竹特別純米。米を削りすぎない特別純米あたりが、一番酒の実力が出ると思う。
このところ過去の旅のブログを書いていて、自分で撮った旅先の地酒の写真に、美味しい酒を飲みたくてたまらなくなってしまっていた。
カウンター冷蔵ケースの鰤を焼いてもらう。
女将の話に耳を傾ける。
女将が子どもの頃、先代の店に本田宗一郎やトヨタ自動車の社長が来ていたという。
「本田さんは白いトックリのセーターを着ていました」「自転車の横にリアカーを付けたような車両にエンジンを取り付けて、地元のモータースの人と一緒に試運転のようなことをしていましたよ」
トヨタ自動車からは、今でも催し物の招待状が届いているという。
帰ろうとする少し前に、やっともう一人の客がカウンター席に座った。程なくその人と話をするようになる。(この頃にはエアコンが入って涼しくなっていたと思う)
がっちりとした体格の男性は、話の内容からすると91歳くらいだろうか。若い頃自動車の洗車機を日本で初めて作ったという話。最初、歯ブラシの大きいもので洗車したら自動車を傷だらけにしてしまい失敗してしまったという。
車の電動ミラーは最初自転車のブレーキのワイヤーをヒントにして制作したのだと。
その功績が認められ黄綬褒章受賞の話があったが、それを作るよう命じた上司、会社こそが受賞すべきと、個人での受賞は断ったという。
こういう古き良き日本人は少なくなってしまっただろうな。
その後、この人とは家庭教育について話をした。
それにしてもこの店は、社会に功績を遺した人たちが多く暖簾を潜っている。他にも日本の歴史に名が残っている人たちが訪れているから不思議だ。
どうしてなのか尋ねると「わからない」という。
しかしながら私はそのような人たちと同席したことはなく、余程縁がないのだと思う。
昭和11年生まれの女将一人では、大人数の予約が入ると困ってしまうらしく、とはいえ人件費を払うだけの余裕はないとのことで、それなら私がボランティアで手伝いますよと言っておいた。
面白い人に会って時間を共有できたら、それも財産かなと思う。
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