三車線道路の真ん中で車が動かなくなる 7月17日

カフェ

鮎のドブ釣りの準備

明日はいよいよ鮎のドブ釣り入門なので朝から張り切っていた。昔使った道具の中に使えるものがあればと倉庫に入り、ウエストポーチや偏光グラス、首筋を遮光する帽子などを探し出した。クーラーボックス、ウエア、釣りベストなども揃え、午前4時に出発できるよう準備完了。ワクワクする。

カフェ・バロック

納骨まで釣りに行けない先生から連絡があり、喫茶店で少し講義を受けた。

藤枝駅近くのカフェ・バロックは開店して5年程と聞いた。流れているのはバロック音楽なのだろう。しかしそれよりも私が引き付けられたのは書架の蔵書である。

バロック音楽に関するものだけでなく、面白そうな歴史の本がずらりと並んでいる。

昭和2年発行の日本地図帳をマスターに見せていただいた。地図は貴重なので、家にある何気ない地図も簡単には捨てられないが、その地図帳は日本が朝鮮半島を統治していた時代のものだった。

コーヒーは「バリ・アラビカ神山」を注文。お、またインドネシアか。友だちがインドネシアから一時帰国してからインドネシアに縁があるな。おかわりはスマトラ島の豆「マンデリン」。今まで飲んできたコーヒーとは違う味がした。

バリ・アラビカ神山

稲むらの火

先生から「稲むらの火」の話を知っているかと聞かれた。もちろん知らない。

1854年の安政南海地震による津波の際に、積み上げた稲に庄屋が火をつけて住民に危険を知らせ、命を救った話であった。炎を見た住民たちは「庄屋が火事だ大変だ!」と高台に集まったことで命が助かったという。

この話はラフカディオ・ハーンが史実に基づいて書いた話のようで、師範学校の英語の授業で感銘を受けた教師が、文部省の国語の教材公募に応募して採用されたようである。

先生の時代の教科書にはその話が載っていて、小学5年生の時には紙芝居でその話を聞き、まさしくその最中に東南海地震が発生した(1944年12月7日)。「鳥肌が立ちましたよ」と呟いた。

釣りのM先生 89歳

歩くことが大切

先生は車の免許を持っていない。免許を取得しなかった理由を聞くと「運輸関係の事務をしている時に、『事故を起こす人間には2種類あり、ぼ~っとしている人と敏感過ぎる人』と周りの人が言っていた。私は敏感過ぎるので事故を起こす可能性高く、免許をとらなかった」と答えた。免許保有率は今とは違い、それほど変わった選択ではなかったらしい。

なので先生は「徒歩→バス→電車→バス→徒歩」で釣りに出かける。釣り道具を背負って歩く。仕事は本の行商だったので、これまで長い距離を長い時間をかけて歩いてきた。「歩くことは大切だ」と言われ、89歳の人の言葉には「ほんとう」があると思った。

本を捨ててはいけない

先生と一緒に本屋に寄り、先生は注文しておいた本を受け取った。その知識欲とカフェのマスターの知識欲に、久しぶりに集中して本を読みたくなった。昨日沢山の本を処分してしまったが、「本は捨ててはいけないよ。必ず後で見返すことがあるから」と言われ、しまったと思った。

先生が茶色に変色した「イギリス名詞選」(岩波書店,1990年)を開いた。沢山の書き込みがある。そこにある18世紀に生まれたチャールズ・ラムの詩を読んで、いい詩だなと思った。私も詩集は捨てていないが、チャールズ・ラムという名前は記憶にない。「チャールズ・ラムの詩が小沼丹の小説の底流を流れていないか」と言われたが、小沼丹は3冊くらいしか読んでおらず、チャールズ・ラムを読んでから小沼丹を再度読んでみようと思った。

先生を送った帰りに…

先生を家まで送り届けた帰り、3車線道路の中央で信号待ちの時に車が止まってしまった。

ハザードランプを点灯させ、外に出て後続車に頭を下げてから座席に戻り、何とかエンジンをかけた。アクセルを強く踏むと下からカラカラと音がする。その後2回同様なことが起こり、頼りにしている車屋まで到着することを祈りながら運転した。

祝日にもかかわらず営業していて車屋が神様のように見えた。何度も助けてもらっている

車を修理に出し…明日の釣行は不可となった。静岡のMさんに電話を掛け謝った。それでも、静岡の行き帰りの故障でなくて幸いだったと胸をなでおろした。

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