覚悟

懐かしい時を求めて

母が入院して3週間が経った。

肺炎が治まり酸素吸入の管が外れ、熱も下がってきた。血液検査の結果も良好で、血圧も安定している。

重湯を口から食べるようになり、次は米粒が入るようになる。

91歳という年齢を考えれば、これ以上はないという程の経過を辿っているが、面会時の会話は以前とは大きく違う気がする。

重湯を食べたのは1回だと言うが、朝食べたのか昼なのかの問いに首を傾げる。時計は部屋に掛けてあるが、寝た状態では見ることができない。24時間真っ白い壁と天井を見ていれば、時間の感覚は狂うとは思う。

しかし「重湯まずい」「あたたかいうどん食べたい」を子どものように何度も繰り返すのを聞き、そこに私の知らなかった母を見たような気がした。

認知機能が衰えることにより、死の恐怖から逃れられるのではないかと思ったりもするが、それは本人だけでなく、家族も徐々に死を受け入れられるようになっていくのではないか。

母の退院後について家族と話を何度もした。

母と同居する妹とは何度か口論になった。

母がどういう状態で退院するのかはっきりしないが、口論の末、最悪の寝たきりを想定した場合、私の家で介護するのが一番合理的だと思うようになった。

私以外の家族がいて、介助や見守りができること。医療職の娘たちが頻繁に関われること。孫たちが集まり賑やかで刺激があること。

そう考えていたら、母の最後の時間を一緒に過ごすことに、楽しみさえ覚えるようになってきた。

おむつ交換もやろう。祖母の介護をした叔母の家は、祖母が亡くなった後も便の臭いが染みついていたが、そういうこともあるかもしれない。

覚悟を決めたらすっきりした。今までどこかで逃げていたように思う。

妻たちの了解が得られているわけではないが、そんな気持ちを妹に伝えたところ「言い合いをするのはもうやめようと思っていた」と言った。母は何度か妹に「兄妹仲良く」と言ったそうだ。

妹も母を看たい気持ちが強く、まずは元の家に戻り、ケアマネジャーに相談しながら現状維持に努める。それに外部の家族が可能な範囲で支援する。それが難しいと判断した場合、本人の意向を大切にしなければいけないが、私の家で看ることにする。

それが兄妹の現在の合意点である。

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