須賀敦子を感じながら

文学

須賀敦子を知ったのは今年の6月だったと、自身のブログで確認した。

その時の予感どおり、一冊を大切に、ゆっくり歩くように読み進めるようになった。

ハッとする文章があった。「霧の中に住みたい」河出書房新社,2003の、敦子が母親に叱られるシーン。

「どうして、ちゃんと先生のいうことを聞いていられないの?」

敦子は「聞いてないわけじゃないのよ。わたしにも言い分はあった。聞いていると、そこからいっぱい考えがわいてきて、先生のいっていることがわからなくなるの」と答える。

そう、私もそうだ。

やはり須賀さんはいいと思った。

「コルシア書店の仲間たち」文藝春秋(文庫),1995に、「それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣りあわせで、人それぞれ自分の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた」とある。

「孤独の確立」ができていなかったことが、私が数々の失敗を犯し、人を傷つけてきた原因であったこと気づいたのは最近のこと。

それ以来、極力人と接しないよう心掛けているが、それでも続いている関係もあれば、新たな出会いもある。機会が少なくなった分、一人ひとりの関係は深くなったようにも思える。

「ヴェネツィアの宿」文藝春秋(文庫),1998では、敦子がフランスの大学に通っている時に新しいルームメイトができる。ドイツ人女性で「ゆっくり本を読んだり、人生について真剣に考える時間がほしかったので、仕事をやめてフランスに来た」と話す。

そういう生き方、そういう生き方をしている人との出逢いに憧れる。

「ミラノ 霧の風景」白水社,2001。貴金属を次から次へと買う人を、ミラノに住む女性たちが批判するシーン。「あたらしい貴金属を『終始』買うということは、その家に先祖代々伝わったものがないからだ、と言わぬばかりの彼女たちの口ぶりだった」

そうか、大切なものがあり満たされていれば、新しいものなど必要ないのだとあらためて気づかされる。

この本にはいくつも面白い話があり、一つは教会に安置されたミイラ化した聖者についての話だ。

その聖者は、キリスト教が迫害されていた時代に殉教した青年で、その遺骸は古代からローマの教会に安置され、様々な病気を治してくれると崇敬されていた。その後、17世紀に、ナポリの貴族が何かの大手柄をたて、褒美としてその遺骸を教皇からもらい受ける。しかしその貴族が亡くなると、遺骸をどうするか困った家族が教会に寄付して今日に至っている。そんな話だが、話はそこで終わらない。

1880年代にフランスの使節団がその教会を訪れ、監視人のすきをねらって遺骸の肋骨を一本盗んでいってしまったというのだ。遺骸の説明文にそのようなことが書かれているものの、敦子自身「どこまでほんとうなのか」と首を傾げている。

こういう話はさらに想像が膨らんで楽しい。

「遠い朝の本たち」筑摩書房1998にも敦子が母親から叱られるシーンがある。

「おまえはすぐに本に読まれる」「また、本に読まれている。早く勉強しなさい。本は読むものでしょう。おまえみたいに、年がら年中、本に読まれてばかりいて、どうするの」

しかし後年、叱った敦子の母親も、母親に同じことを言われていたことを知る。「本に読まれる」というのは「我を忘れて没頭する」という意味合いだったようである。

私も最近…学生時代以来のことだが、読書ばかりするようになった。参考文献が出てくれば、気持ちはそちらにも向く。ネットで探して取り寄せる。断捨離しなければいけない時期に来ているが、知りたいことが連鎖的に拡がり、どんどん本が増えていく。図書館で借りることもあるが、身近に置いておきたい本がなぜか次から次へと現れ忙しい。

江戸時代の生活や旅についても知りたくて、挿絵がある本を見つけると直ぐに買ってしまうが、先日、1年程欲しいと思い続けていた平凡社東洋文庫の「人倫訓蒙図彙」をやっとのことで手に入れることができた。メルカリで値下げのお願いまでしたのだが、書棚に置いたところ、なんと既に所有している本であった。片方は書き込み用にしようか。

書棚に須賀敦子の未読本があることにも気がついた。須賀敦子を無性に読みたくなる時があり、そんな時のために余分に買っておいたのだった。

これを読んでしまうと未読が亡くなってしまう。

とりあえずネットで2冊、注文することにした。

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