瀬戸内晴美「遠い声」を読みながら 6月12日

哲学

朝から雨が降っていて、それでも小雨だったので傘もささずに庭に出た。バッタがアジサイからアメジストセージの葉に飛び移った。そして眼が合った。サングラスをかけた伊勢正三に似ていると思った。

工房に戻り、3つのカリンバに漆を塗り、1つにはウッドバーニングのペンを使って、古代生物・アノマロカリスの絵を描いた。

その後、1週間ぶりに食材の買い出しに出かけたが、高値の物には縁が無かったと思って手を出さず、安値の基本野菜と豚肉をあれこれ調達した。時間に余裕があるせいか、加工品は自分でつくればいいと思うようになった。

夕飯の支度までの時間を楽しもうと、ソファにごろりと横になり、瀬戸内晴美の「遠い声」新潮文庫の続きを読む。昔、先輩にもらった本だったか。

書いた文章の力が、書いた通りの運命を招き寄せる

「天皇暗殺を企てた首謀者として、明治44年、幸徳秋水ら11名とともに死刑に処せられた菅野須賀子」の話の中に、「人間の書く文章とは不思議な魔術を持っているように思う。ことばにも霊があり、一度言葉にすると、ことばにこもった命が働いて、呪いや祈りがかなえられ奇蹟を呼ぶように、文章にはもっと神秘な魔力がこもっていて、うっかり書くと、その文章の力が、書いた通りの運命を招きよせることがあるのかもしれない」とある。

思考が現実化するのは何度か経験しており、思考というのはそもそも言語だから、ことばや文章としての発露が実際に起こることに何ら不思議はない。しかし、ことばや文章の力が、今後はもっと大きく神秘的な作用を及ぼす予感がしている。

先日、霊感がある人から「貴方は生命力が強い。しかし強い故に、悪いことを考えるとそちらに引っ張られてしまう」と言われた。言葉や文章にしなくても、頭の中で考えた思考(言語)でさえ現実化するのだから、思考をコントロールする必要がある。

人生の残りの時間が見えたとき

もう1つ。獄中の菅野須賀子が「獄中では、どんなに時間がありあまるのかと思うのは素人考えだった」という件。人は、残された時間が見えてしまった時、意識の外に追いやりがちだった「知りたいこと」や「やりたいこと」が一気に噴出し、その分量が残り時間に収まりきらないことにうろたえるのではないか。

私が仕事を辞めたのは、そういう状況があったから。仕事で自分らしさを出し切れる人は素晴らしいと思うが、私にはできなかった。単に能力が無かったからだと冷静に自覚できるようになったことが、切り替えに結び付いた。

今は、日々強く思っているところへ進んでおり、やはり思考は現実化すると思っている。

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