できなくなるとき 12月13日

懐かしい時を求めて

母の衰え

母の通院介助の日。迎えに行きテーブルの薬の量に驚いた。

小食の人なら薬と水だけで空腹が満たされるかもしれないが、母は食欲旺盛である。錠剤をボリボリ食べる母を想像するが、実際は小分けし、大量の白湯で細くなった喉を何とか通している。

乳がん治療中ではあるが、消化器系は健康そのもの。しかし歩くのに困難する。体の移動に時間がかかり、家を出たのは1時間経過後だった。

小さな声で母が呟く。

「家計簿をつけるのにそろばんを使うことができなくなった。孫に電卓の使い方を教えてもらっている」というので「そろばんを使えていたなんてすごい。僕はそろばんの使い方を知らない」と慰めた。

住職のはなし

「食事をこぼすことがあるし、トイレも大変だから外食はしたくない」と聞いて、寺の住職の話を思い出した。

子どもは最初、自分で食事することができず、親が離乳食をスプーンで口に運んだだろう。幼子が何度口からこぼしても、親は優しく根気よく食事を与えたであろう。

歩き始めて間もない頃、幼子が転ばないよう、親は子の手をひいただろう。

その親が食べ物をこぼし転ぶようになったとき、子は幼い頃親にしてもらったことを思い出すといい。自分が昔してもらったよう、親にしてあげてほしい。

そんな話だった。父の墓参りの折り、住職に「あれは誰の話しか」尋ねたら、「思ったことを言っただけで、特別誰の話というわけではない」とのことだった。

私が母のを介助するのは「時々」だから、そんな悠長なことが言えるのかもしれない。日々介助・介護している人は、それどころではないに違いない。

それでも住職の話は、私の中で色褪せるどころか、日々強く意識されるようになってきている。

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