「コンバット」を観ながら 8月29日

懐かしい時を求めて

体調を崩して横になっている時、「コンバット」を観たくなる。

「コンバット」は1962年から1967年までに放映されたアメリカのテレビ番組で、第二次世界大戦末期のフランスを舞台にしたヒューマン・ドラマである。日本でも放映され、物心ついた時には、すっかり虜になっていた。

今私が繰り返し観ているのは、朝日出版が発売したDVD全集で152話ある。今日は92話「爆破命令」を観た。チャールズ・ブロンソンが爆発物の専門家ベラスケスとしてゲスト出演している。

ドイツ軍要塞の地下に爆発物を仕掛けて破壊させる作戦だが、難所を切り抜けいざ実行となった時に、ベラスケスは作戦を遂行できなくなってしまう。それは、要塞を爆破することが、そこに保管された美術品をも破壊してしまうからで、今日私たちがテレビのニュースで見る戦争による遺跡の破壊を想起させられた。

ドラマでは、芸術家が残した世界的遺産と、連合軍兵士1万人の命が天秤にかけられる。アメリカは多くの戦争に関わってきたが、それでもそういう視点を持っていたことに、思想の厚みのようなものを感じた。

ドラマ全体を通じて感じるのは、ちょっとした会話に見るユーモアである。ウィットに富んだユーモアが緊迫した場面を和らげ、人と人との関係を緩やかにする。ドラマと現実は異なるであろうが、それでも私たちがイメージする日本軍兵士の上下関係とは全く違っているのではないかと思う。

友達のお父さんだったか、「戦争にヒューマン・ドラマなどない」と激怒していた。「戦争はそんなものではない」と。その通りだろう。映画で描かれる戦争も、大岡昇平の「野火」などの方が現実に近いだろうことは理解している。それでも毎日「野火」を見続けるよりは、虚構であっても「コンバット」の方が救われるのである。

それは、ドラマに描かれた美しさを美しいと感じ、大切なことをこれからも大切にしたいという未来が働くからである。

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