母が4月26日に退院した。
新年早々、腸閉塞の緊急手術。肺炎を起こし人工呼吸器を装着。そこからの回復は早かったが足腰弱り、「廃用」でリハビリ病院に転院。3か月の訓練を経ての退院だった。
退院後はもと居た家にもどり、娘との二人暮らしが再開した。私の家であれば4人暮らしとなり、その方が見守りが途切れず良いのではないかと提案したが、母も娘(妹)も以前の生活を選んだ。
妹が仕事の日はデイケアに行く。日曜日はデイケアが休みなので、土曜日の夜から1泊のショートステイを使った。
順調にスタートした…と思った。
しかしまず、ショートステイに行くのを嫌がるようになった。
ショートステイは1泊2日で16,000円と高額なこともあり、私が日曜日に見守りをすることにした。とはいえ毎週とは言えないため、「もうショートステイに行かなくてもいい」と思い込まないよう対策を考えないといけない。
デイケアに行くのも嫌がった。無理にでも行かせたが体が拒否反応を示し、施設の人が迎えに来ると過呼吸、血圧上昇で救急搬送したこともあった。ヘルパーによれば、保育園に通うのを嫌がる子ども同様、お腹が痛くなったりする高齢者はいると言う。
福祉サービスを嫌がる母をどう介護するかで、妹と私が衝突する。
デイケアやショートステイに行くのが嫌で体が拒否反応を起こす程とあっては、在宅介護もやむを得ないと思う。しかし在宅でどう見守るかについて、妹と私で意見が対立する。
在宅時の介護ヘルパーは、長時間お願いしたとしても、一日中というわけにはいかない。そこに見守りの空白時間ができる。
私はその空白時間に母が転倒し、痰が絡み、誤嚥し、結果、命を失うことがあっても仕方ないと考える。一方、妹は、そうならないよう、空白時間を無くそうと、仕事を辞めることも考える。必然、私にも相当の介護を求めてくる。
入院時にもそんな対立があった。仕事を辞めてでも24時間介護をしようとする妹に対し、福祉サービスを使えば仕事を辞めなくてもよいこと、仕事を辞めれば生活が困難になる可能性があることを伝え、叔母や従妹たちも妹の説得にあたった。それが再現している。
「命を失う可能性があるにもかかわらず全力を尽くさないことは親不孝、不義理であり、冷酷この上ない」と批難される。「もう兄には一切頼まない」と啖呵を切っても、それを補うのが甥(妹の子)だと知れば、そういうわけにはいかなくなってくる。
こうして、先週の日曜日も今週も、一日母のそばにいる。
退院直後は次の写真の食事をぺろりと平らげ、「食欲旺盛のうちは死なないよ」などと言っていたが、今日は稲荷寿司2個。以前はソファに腰かけて過ごしていたが、食事と排泄の時以外はベッドで眠っている。食事の際に話す内容に、まだ人間らしさが残っている。
残り時間は僅かだろう。
なぜデイケアに行くのが嫌なのか、叔母が確認してくれた。見守り時間が長くなるのが良かれと考え、デイケアの迎えの順番を最初にしてもらったのだが、それにより施設に到着するまでの時間が長くなり(40分)、体が疲れ切ってしまうということだった。デイケアそのものが嫌だったわけではなかったのだ。迎えの順番を後にすることで、デイケアの問題は解決できそうだ。
日曜日の見守りも、可能な限り続けよう。次週は用事が入ってるが、どうしようか。
静かな部屋で本を読む。ギターを持ってきても、その静けさを破ってはいけないような気がして持ち帰る。眠っている母が発する微かな音と呼吸の動きを、生きている証として心に刻み込むようにして、夕方までの時間を過ごす。
コメント
今日読ませて頂きました
朝代さんの生命力介護の取り組みに感心しました朝代にメールを送りましたら返事も頂きただただ👏ですお体お大事に長生きして下さいとお伝え下さい
コメントありがとうございます。母も大好きな友達と連絡が取れて喜んでいます。残り少ない時間だと思いますが、よろしくお願いします。