たかちゃんの死 5月29日

哲学

5月23日にいとこのたかちゃんが死んだ。69歳。ガンだった。

その日は妻の誕生日で、泣きながらお祝いの寿司を握った。

私よりも8歳年上で、中学生の時に内臓の病気で入院していて、学校へ行かずにベッドでプラモデルを組み立てている姿を見て羨ましいと思った。その後私も入院を経験することになったが、点滴で片手が不自由でプラモデルの組み立てなどできず、食事制限も厳しかったため、入院が決して楽しいものではないことを知った。

母は10人兄弟で、幼い頃に1人、数年前に長男が亡くなり、8人が存命である。仲が良く、コロナ前はいとこ・はとこも加わって一族で旅行をしていた。

たかちゃんと話をするのはそんな集まりの時で、若い頃バイクのレースをしていた時の話では「スピードが200キロを超えると視界がピンクになる」と聞いた。「早いだけではレースは続けられない。スポンサーに目を付けられる容姿も必要だ」とも。

いつも奥様と二人で親族旅行に参加し、その幸せは静かで微笑ましいものだった。

定年後も会社に引き止められ、やっと退職して1年ちょっとでガンの宣告を受けた。そこから1年数か月で亡くなってしまった。

バイクに跨る写真を見て、当たり前だけれど死など意識にない若い時があったことと、現実の死の対比に、気持ちの整理ができないでいる。

どのような人生だったのか、通夜、葬儀に集まった人たちの話に耳を傾ける。私との関りも少しだけ話をする。

人は死ぬとどうなるのか。生まれる前のことを覚えていないような「無」だと思っている。

父が57歳で亡くなり、母がガンの宣告を受け、いよいよ順番がまわってきたなと思う。死神が近づいてこないようにするには、「笑う」ということが大切のようだ。近い将来、私自身の残り時間を知った時も、最後まで笑って過ごそうと思っている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました