写真屋のたかこさんを偲んで 6月1日

カメラ

子どもの頃からお世話になっている写真屋のたかこさんが、5月中旬に亡くなった。昨年、闘病していることは本人から聞いていたが、最近はがんの治療も進んでいるから、亡くなることはないだろうと思っていた。

写真屋には母が勤めていたことがあり、幼少の頃から出入りしていたから、カメラを手にするのは時間の問題だった。自分のお金で買った最初のカメラはcannon A-1。父のレンズを使うことができた。

cannon A-1

次がNikon F3。大学生の時だった。撮って撮って撮りまくった。

Nikon F3(中央)

その後も交換レンズはもちろんのこと、ローライ、ゼンザブロニカなど、よいカメラを手頃な価格で売っていただいた。

Rollei 35T
ZENZA BRONICA

一番の宝はLeica M3である。たかこさんの父・しろうさんが知人から譲ってもらったもので、その知人がドイツで発売年に買ったものである。調べてみると発売は1954年4月。1159マルク、日本円で23万円とある。

私は、ほんとうはショーケースの中のLeica M4を買おうとしていた。借りたお金を握りしめて意気揚々と店に向かったのだが、ショーケースにお目当てのカメラはなかった。しろうさんが申し訳なさそうな顔をしていた。

「委託販売品だったが、あまりにも直ぐに売約となったため、売り主が売るのが惜しくなり取りやめた」とのことであった。しかし、しろうさんは「俺も商人のはしくれだ。約束は果たさないといけない」と、同じ価格でLeica M3を譲ってくれたのである。しろうさんの声が少し震えていた。

Leica M3 上についているのは露出計 しろうさんが「天ぷらみたいなもんだ」と言っていた

後から聞いたところでは、しろうさんはショーケースの中央に鎮座するLeica M3が姿を消したため、大変落胆してしまったとのこと。たかこさんから「お父さんは、K君(私)だから譲ったんだと思うよ。大事にしてね」と言われた。もう20年も前だろうか。

その時のことを思い返し、Leicaにフィルムを入れようと思った。モノクロフィルムは店頭になく、カラーフィルムもコダックISO400だけだった。

さて何を撮るか。Leicaなら、やはり人を撮りたい。しかし最近は人との交流がほとんどなくなってしまった。そうだ、家族を撮ろう。何気ない毎日のスナップは、のちに貴重なものとなり、面白さが増していく。

防湿庫からカメラやレンズを取り出し、あらためてよくもこんなに買ったものだと思った。昼休みや仕事帰りに写真屋に顔を出すと新商品の情報が入る。説明を聞き心の中を読んだたかこさんが「K君、レンズ持っていけばいいよ。お金なんかいつでもいいから」との甘い誘いに、私は恍惚となった。しかしながらボーナス支給日に支払いを済ませると残りはほとんどなく、半年に一度のその日はちょっとほろ苦い日になるのだった。

防湿庫の奥からクラッセが出てきた。たかこさんが「これ綺麗に撮れるよぉ~」と言うので、買ってしまったのだ。たかこさんの言う通り、綺麗な写真が撮れた。

たかこさんに初めて会ったのは、大学生の時だったか。近くにこんな都会的で綺麗な人がいることに驚いた。嫁いできて間もない頃だろうか。

写真屋のショーウインドーに、ずっと前からオードリーヘップバーンの写真が飾られている。若い頃のたかこさんに似ていると思った。「だからご主人が飾っているのでしょう」とたかこさんに尋ねたら「そうじゃないけど、嬉しいこと言ってくれるねぇ~。なんかサービスしたくなっちゃう」と笑ったたかこさんが早くも懐かしい。

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