祖父の刺身包丁
刺身を切ろうとして、祖父が使っていた刺身包丁のことを思い出した。
部屋の片隅に新聞紙で包んで保管していたのを取り出して研ぐことにした。釣りをしていた頃使っていた出刃包丁なども一緒に。
小学生の時、鰹の刺身が生臭くて嫌いになりそうだったが、包丁の使い方が味に影響すると誰かから聞き、刃が長い刺身包丁を使うのがいいと、これも誰かから聞いた気がする。刺身には刺身包丁を使い、すうっと一つの方向に引いて切るのが正しいようだ。
砥石
砥石を探す。
砥石は貴重品になっているので大切にするよう先輩に言われていた。父が使っていた砥石をやっとのことで見つけた。
「日本のたくみ」白洲正子,新潮社,1984に砥石の話がある。「砥石といえば、大工は火事の時、何をおいても砥石だけは持って逃げるという話を聞いたことがある。なぜ道具より、砥石が大切なのだろうか」という疑問に黒田乾吉という職人が答えている。「道具は人間が造ることができるけれども、砥石は天然のものだから、造るわけにはいかないからだ」
一人の老人が飄然と現れ、ショウウィンドウに飾ってあった200万円の砥石を当たり前のように買っていった話に驚く。
京都・愛宕の砥石が最高級らしく、ネットで相場を調べると、数万円から数十万円といった価格。父の砥石はそのような高級品ではないが大切にしたい。
私がホームセンターで買った砥石もあるが、小さくて使いづらい。
日ごろはクリスタル砥石という合成品を、漆を研ぐ時に使っている。
綺麗には研げないが錆はあらかたとれたし切れ味も少し良くなった。いっちょ前の職人気取りで鰹を切る。
祖父は戦時中満州の鉄道会社で働き、終戦直前に帰国して色々な仕事をしていた。記憶にあるのが魚屋で、この刺身包丁を使っていた。この写真を年長のいとこに送ったら「懐かしい!」と言った。
その包丁がどういう経緯で私が持つことになったのかは定かではないが、親戚や知人宅で不要になったものが我が家には色々あるから、私はいわば廃品回収業者だ。蓄音機、真空管ラジオなどは修理して使えるようになっている。
父の居合刀
父の砥石を使っていたら、居合刀を思い出した。
父は教員をしていて、部活で剣道を教えていた。私が幼少の頃は防具をつけて稽古をさせられた。中学では剣道部に所属していたが、格闘技は私には馴染まなかった。
父はほんとうは真剣を欲しがっていたらしい。隣家の建具屋のおじさんが我が家で父と酒を酌み交わす時、おじさんは酒が回ると真剣を抜いたという。
父はそれを見ていっそう欲しがり、母は危ないので絶対に所有させないと決意したそうである。
居合刀というのは銃刀法では模擬刀というらしいが、なかなか芸術的だと思う。
処分するのはもったいないと、また所有物が増える。
ノミとナイフ
倉庫で父が買ったノミを見つけた。未使用で、退職後に彫刻をやってみようと思っていたのだろうが、退職3か月後に突然逝ってしまった。
父は鋼でよくナイフを作っていた。
白石さんのハサミ
そんなことを考えながら馴染みの床屋で髪を切ってもらっていたら、理容師の白石さんがハサミを見せてくれた。
刃の部分に波の模様があり美しい。鋼を重ねたものから成形するために現れる模様なのだそうだ。
「割と安かったから」というので、それなら私も1本持っていてもいいかなと思ったが「15万円」と聞いて諦めた。いつの日か白石さんにもしものことがあったら安く譲ってもらえないだろうか…などと不謹慎なことを考えてしまった。
4本も持っていてびっくり、というのは変だろう。白石さんはプロフェッショナルで、このハサミはそういう人が使うもの。ハサミが人を選ぶのだと思う。
私の刃物
私だって刃物の一つや二つ持っていると、取り出してみる。ナイフなど誰でも持っているなぁ。
これは塗師屋(ぬしや)包丁といって、漆の刷毛を切って整えたりするもの。刃は波打ってはいないが美しい。
斧は世の中から消えてしまいそうなので、竹を割る時に買っておいた。
彫刻刀も子どもが使っていたものとは全然切れ味が違う。スパッと指の先が切れた。
しかし基本的に刃物は怖い。先が尖ったものへの恐怖心は幼少の頃からある。
半世紀以上前の話しだが、近所に美しい女性がいて、その女性の片方の目には尖ったものによる傷があった。その記憶は未だに消えなくて、あのお姉さんは今どうしているのだろうと時々思ったりする。
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