救われた命が 命を救う 6月7日

哲学

おばあさんの入水自殺

久しぶりに海を見て釣りをしていた頃を懐かしんでいたら、おばあさんの自殺未遂を思い出した。吉田の海岸で友達と娘2人、計4人で投げ釣りをしていた時のこと。

東の方からおばあさんが手押し車でやってきた。こんなところにおばあさんが来るなんて変だなと思っていたら、砂浜から海に入っていった。

そのすぐ近くには見知らぬ若い釣り人がいて、その人が私たちに向かって大きな声を出した。「誰か助けてください!」

考える間もなく私は竿を放り、娘たちに「ついてくるな!」とだけ叫んで、全速力で走り出していた。その距離30mか50mか。

世界がスローモーションになり、波の満ち引きは止まりかけているかのように見えた。

おばあさんの体は膝の上まで海に浸かり、渦に巻かれるように回転しながら全身が沈みかけていた。

波の満ち引きがあと1回のうちにたどり着けば、助けられると思った。そして瞬間移動したかのように、私はおばあさんの上着の襟首を掴んで海から引きずり出していた。

おばあさんは「死にたい」と繰り返した。

私は「いつかお迎えが来るから、それまでは駄目だよ」と言っていた。

友達は、私が死ぬかもしれないと思ったらしい。

後日、おばあさんの家族から、おばあさんの命が助かったことに対する複雑な気持ちが綴られた手紙が届いた。おばあさんを助けたことが良かったのか悪かったのか、わからなくなってしまった。

義弟からもらった宝物の竿は、海に流されてしまったが、それは私の身代わりだったのかもしれない。

溺れた子ども

そして、ふと母から聞いた話を思い出した。

幼少の頃、私が川で溺れ青年に助けられた話。青年は私を家に送り届けると、名前も告げずに立ち去ったという。記憶にないから、幼稚園に入るよりも前かもしれない。

その青年がいなければ、私の人生がそこで終わっていたと思うと、今日までの日々を振り返り、このままではいけないと強く思う。

川で死にかけた私が、それから数十年後に海で死にかけたおばあさんの命を救った。何か大きな流れの中にいる気がしてならない。

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