私がその人形に出逢ったのは1981年頃だった。
私が通う港区の私立大学から原宿へは電車に乗ればすぐで、休日ともなれば「お上りさん」丸出しで、眼をキョロキョロさせて街を練り歩いた。
キディーランドという店だったと思う。彼に逢ったのは。
キディーランド…調べてみると、まだあるではないか。正しくは「キデイランド」というらしい。
私はお金を払い、彼を下宿に連れ帰った。
彼は何も食べないし、無口なので、一緒に住んでいて気が楽だった。
大学を卒業し、ふるさと静岡県に帰って就職し、数十年が経った。
人形のことはすっかり忘れていたが、ある日テレビで「ちびまる子ちゃん」を見ていて、その人形が登場したので驚いた。
彼と全く同じ顔をしていて、彼に双子の兄弟がいることを知った。
その後、妻が知人の家で、同じ顔をした人形に会ったと言った。
彼は三つ子だったのだ。
私はその人形に「ジミー・ジメリーノ」と名付けた。
その名前は、J.D.サリンジャーの「ナインストーリーズ」に登場するもので、「ジミー・ジメリーノ」という奇妙な響きに、すぐに虜になってしまった。
「NINE STORIES]は英文科のリーディング授業で使っていたテキストで、後年、その内容はすっかり忘れてしまっても、「ジミー・ジメリーノ」という名前と、リーディングの若くて美しい女教師の、逃れられない不幸を抱えながら日々生きているかのような、腫れぼったい瞼は脳裏に焼きついている。
ジミー・ジメリーノ氏と同じ顔をした人形が次々と現れ、私は彼の出自が気になった。
彼の顔写真を撮影してグーグルで画像検索すると、彼にはもっと多くの兄弟がいることがわかった。
そして、彼の本名がチャーリー・マッカーシーということもわかった。
1930~1940年頃にアメリカで大人気だった腹話術人形を模して製造販売されたものらしい。
しかし40年以上「ジメリーノさん」と呼んできたため、今さら変えるのは不自然である。娘たちも気安く「ジメリーノさん」と呼んでいる。
よし、彼の出自や本名は、娘たちには知らせないでおこう。この秘密は墓場まで持っていこう。
これらのことを彼と話している時、彼の服がみすぼらしいことに気がついた。
ジャケットの色は褪せ、ボタンが外れている。パンツのゴムが伸びてずり落ちてしまう。
40年以上も同じ服を着続けていたことについて、申し訳ないことをしたと、素直に詫びた。
しかし彼は何も言わず、そのかたくなな表情に積年の怒りを感じた。トイストーリーの世界であれば、私はバズライトイヤーに光線銃で撃たれていたかもしれない。
その日から私は彼の衣装づくりに取り掛かった。睡眠時間は大幅に減った。
靴、パンツ、ジャケット、帽子を革で作った。しかし彼の怒りは簡単には収まらないようだった。
革を縫っていると、指や腕に痛みが走ったが、彼が再び世界中で活動できるよう、トランクを作った。
妻の白いセーターを着てもらったところで、やっと表情が和んだ気がする。
しかし私が彼を見つめると、途端に彼は目を逸らす。眼球が動かない人形のフリをする。
仕方ない。何事にも時間が必要なのだ。
いつかきっと、分かり合える日がくると思っている。
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