コロナ後遺症との付き合い 9月1日

懐かしい時を求めて

熱は39.8度まで上がったものの2日で下がった。その後喉の痛みが激しく、しかしそれも2日で治った。今日は発熱してから10日目になる。熱も喉の痛みもないが、何か変だ。

味覚は少し変だったが、少しずつよくなっている感じがする。

頭がぼんやりしていて物事に集中することができないのが私の後遺症か。仕事はしておらず、日常生活に大きな支障はない。それでもこの状態が続くのは勘弁してくれと思う。

頭がぼんやりしているので、身体をシャキシャキと動かすことができない。無理にできないことはないが、そういう気持ちにならない。いっそのことジョギングでもすれば、体の中に何らかの刺激が及び改善するのではないかと思ったりもするが、もう少し我慢しよう。

畳の上にゴロリと横になると睡魔が襲う。昼間眠ると夜眠れなくなるのが常だが、夜は夜で眠れるのである。20時頃に消灯して目を閉じると、トイレに起きることもなく、朝8時まで目が覚めない。いくらでも眠れることが尋常でないと思う。

病気に明確な症状があり、その対症療法が分かっていれば、その闘っている時間は有意義に思えるが、症状がぼんやりとし治療法も不明で何もしていない時間の連続は、人間の尊厳が脅かされる事態といってもいい。漆の工程を機械的にこなし、気分転換に別のクラフトをと、2年も放り出してあった人形づくりを再開したが、長い時間続けることができず放り出してしまう。

後遺症に終わりが見えれば、惚けて何もしない時間にも耐えられるかもしれないが、何が有意義なことがあるはずだと家の中を見渡す。

本があった。よし、片っ端から読破してやろうじゃないか。もう一度地質について学ぼう。英文学は学生の頃とは違った感想を抱くに違いない。

スタインベックの「二十日鼠と人間」を一気に読んだ。こげ茶色に変色した新潮文庫は、1980年に買ったものだ。

レニーという馬鹿力の大男が出てくる。「あれはいいやつだ」「いいやつになるのは、あたまはいらねえからな。おれは、ときによっちゃあ、あたまはその反対に働くようなきがするぜ。ほんとに利口な男には、いいやつなんでめったにいないからな」と仲間が言う。その通りだな。「グリーン・マイル」のジョン・コーフィを思い起こした。

人間が今よりもずっと労働に時間を割かなければならなかった時代の話だ。スタインベックの故郷アメリカ、カリフォルニア州サリナスを舞台にした物語にいっとき入り込むことができた。人間の創造力のなせる業だ。

遠藤周作は「病気の時でも不幸な時でも、これを『利用して何とかトクをすることはあるまいか』と考えることである。私は病身だったので病気を随分、利用した。負け惜しみではなく病気を骨までしゃぶって、私の人生の三分の一は自分の病気を利用することにあったと言っていい。かなりトクしたと思っている」と語っている。(「生き上手 死に上手」文芸春秋1994)

よし、後遺症をしゃぶりつくしてやろうか。

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