コロナウィルスの感染が拡大していると聞いてはいたけれど、外出することが殆どなくなった私にはあまり関係のない話だと思っていた。
金曜日
しかし妻は私とは状況が異なり、金曜日の食事会で誰かからウイルスをもらってきた。
土曜日・日曜日
土曜日は何事もなかったが、妻は日曜日に発熱し、布団で横になっていた。
月曜日
妻の熱が39.1度まで上がる。
金曜日の食事会のメンバーから体調を確認するメールがあった。メールによると、参加者9人全員が発熱。1人が検査したところ陽性。妻が感染したことは、検査せずとも確信した。
熱い日が続き、私達は閉め切った部屋でエアコンをかけて寝ている。
私はワクチンを接種していない。ワクチンを打つ方が体に悪い影響があると思ったからだ。友だちがコロナワクチンの副反応、副作用について英文で検索すると、日本語では得られない接種者にとってのマイナスの情報が得られると言っていた。
感染するとどうなるのか。重症化して死ぬか軽度で治まるか。それを確認したいと思っており、スリリングな時間が続いた。
夜中、妻は隣でゴホゴホと咳き込み苦しそうだった。目が覚めて振り返ると、こちらを向いて咳き込んでいるではないか。「あ、いかん」と背中を向けたが、もうそんなことをしても意味がないことはわかっていた。
火曜日
火曜日。喉に違和感を感じないでもない。そりゃ感染しているだろう。熱を測ると平熱の36.7度。
夕方、もう私には明日はないかもしれぬと、酒を口にする。
まずビールに別れを告げる。初めてビールを飲んだのは高1の時だ。二日酔いで球技大会に参加できなかったが、チームにとってはその方が良かった。
日本酒にも別れを告げる。最初は飲むとゲーが出てしまうほど臭いと思ったのに、いつから美味しいと思うようになったのか。
ワインにも別れを告げる。月山山麓という甘いワインでスタートし、甘さに飽きて渋いものに向かったのは常道だったのではないか。
妻の熱は37.4度。
水曜日
インフルエンザもワクチンの接種をしたことはないが、かかったこともない。妻と母は感染しても、私は何故かいつも大丈夫だった。
とはいえ扁桃腺による発熱は毎年のようにあり、39度を超えても割と平気だ。診療所で念のため検査するといつも陰性。医師から「貴方みたいな人いるんですよねぇ。そういえば昨年もこの時期に来ましたね。インフルエンザの人は、もっとガクガク体を震えさせていますよ。貴方みたいに元気じゃありませんよ」と叱られるように言われ、すまない気持ちになってしまった。
子どもの頃は体が弱く、さんざん病気をしたので、その分沢山の免疫があるのではないかと自分では思っている。
妻の熱は36.9度まで下がってきた。
ところが、私の方は喉の違和感がはっきりし、熱が出るかもしれないと思った。
母に感染させるわけにはいかないので、このところ食事は別々にしており、それぞれ冷蔵庫の中のあり合わせのもので済ますようになってしまった。しかし台所番を務める私としては、栄養のあるものを家族に食べてもらわねばと、私が寝込む前に料理をつくった。かぼちゃ煮、とうがん煮、具沢山の味噌汁、鳥の炊き込みご飯。
その直後に発熱した。体温はぐんぐん上昇して39.8度になった。熱は必要あって出ているのだから、解熱剤は使いたくないが、これまでと同様に考えてはいけないのかもしれないと、飲むことにした。
木曜日
朝、ほぼ平熱まで下がっていた。
妻は平熱に。
コロナウイルスとの闘いに、40度近い熱を必要としたと解釈している。平熱が高いから40度近くに上がっても割と平気でいられるのではないかと思ったりもする。
これで抗体ができたと思えば、よい経験だった。
昨日は食欲がなく、果物しか口にしていなかったため、朝からお腹が空いていて、食事が楽しみで仕方なかった。3つのパンを味比べして、味覚があることを確認。喉が炎症を起こしているのでコーヒーは美味しくなかったが、大きな山をひとつ越えたような感じがして嬉しくてたまらない。
娘が寿司を買って見舞いにきてくれた。いい経験したよ~と調子よく話をした。
この話はここで終わる予定だった。ところが夜に再度発熱。39.3度。
よし今日は解熱剤を使わないでいようと頑張ったが、最後には服用した。
金曜日
一時的に37.0度くらいになる時があるが、おおむね38.2度くらいの熱が続いている。ワクチンを打たなかったから長引くのだろうか。
咳き込み過ぎて喉が痛い。ものを飲み込む時が一番悪い。
正午になった。
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