手紙の時代 8月14日

懐かしい時を求めて

終活で本の整理などをしていると、本棚の隙間から昔の手紙が出てきたりする。

水越和子さん

部厚の封筒は水越和子さんからのものであった。30年ほど前のものだと思う。

水越さんは隣町に住む詩画作家。径書房から出版された著書が実家のどこかにあるはずだ。

手紙はいつも美しい和紙に筆で書かれていた。手紙を再読したが、記憶が定かでないところがある。

覚えているのは水越さんに誘われて「紙折講座」に出席したこと。

金谷博雄(かなやひろたか)さん

藤枝市で開催され、講師は紙折り工芸家で日本エディタースクールで教えている金谷博雄さんだった。厚いグレーの和紙を折って酒の4合瓶がちょうど入るくらいの縦長の手提げ袋を作った。

金谷さんは「かみおりの楽しみ」というタイトルで「紙を生ける」という新たなジャンルについて述べている。「‘紙を生ける’には、たどりつくところがない。なにが完成品かという観念がない。最初の一折りからの過程、一瞬一瞬の紙の舞いが全部、‘完成’段階だといっていい。そういう手でつくり、そういう手で扱われたい」

講座終了後に水越さんに誘われ、焼津の昭和通り商店街の「寿」という居酒屋で卓を囲んだ。古い日本家屋の美しさが残り、鰹の刺身が抜群に美味しかった。

何の話をしたかの記憶はないが、金谷さんから「いい目をしている。その目で頑張れ」というような言葉を頂いたのを思い出した。

今、「ここからまた頑張ります」と応える。

小田光雄さん

小田さんはパピルスという出版社の社長である。

最初の出版は「理想の図書館」(1990年)だった。愛読者カードに感想を記し東京に送ったのが出逢いのきっかけだった。

パピルスの本の奥付を見ると会社の所在地は東京になっているが、本社は磐田市にあったと思う。小田さんは磐田に住んでいて、住まいの脇にある、まるで図書館の閉架書庫のような立派な書棚を見せてもらった。

小田さんに勧められた「悪魔の涎・追い求める男 コルサルタル短篇集」岩波書店,1992は今も私の本棚にある。

パピルスの本はいずれも装丁が綺麗で活字の色も黒ではなかったと思う。

パピルスの本を再読してみよう。

杉本さん

杉本さんは戸田書店の店長で、隣町の書店を度々訪れ、出版や流通について教えを乞うた。その後その店が閉じ静岡駅前に大きな店を開いてからも訪ねた。

いつもアポなしで、今思うと冷や汗が出るが、忙しく仕事をしている最中、笑顔で接してくれた。

今や絶滅危惧種の「本の目利き」で、取り扱う本の選定は魅力的だった。「本1冊あたりの販売単価は本屋の中で上位だよ」と言っていた。仕事を辞め本屋に転職しようかと相談した際は「思いとどまったほうがいいよ」と優しくなだめられた。

図書館に勤めていた頃で、図書館の蔵書を魅力あるものにするため日々努力していたが、杉本さんには大いに助けてもらった。

戸田書店を退職する際、静岡新聞に取り上げられていた。紙面に向かって感謝した。

おがわえつこさん

セーラー万年筆の関連会社、セーラー出版の社長だったようだが、私にとっては児童書の翻訳者だった。

昔の会社はそういう余裕というか、文化面に事業展開するのも一つのステイタスと位置づけていたと思う。サントリーに入社して執筆していた山口瞳も、そういった人ではなかっただろうか。

1991年に出版されたウィリアム・スタイグの「みにくいシュレッグ」が最初の出版だと思っていたら違勘違いで、1985年の「スマーフ物語」に次ぐものであった。

「シュレッグが吐き出す稲妻のような光線が実に臭そうで、これを受けた者はひとたまりもないだろう」というようなことを愛読者カードに書いて送った。するとおがわえつこさんから封書で返信があり、喜んでくれたことを知った。

ウィリアム・スタイグの作品は他の作品とは違っていて、大好きな作家になった。「歯いしゃのチュー先生」「くぎになったソロモン」など、子どもたちも喜んで聞いてくれた。

おがわえつこさんの話ではないが、最近では、ジョン・ヘアの「みらいのえんそく」の視点と絵が素晴らしいと思った。

井狩春男さん

井狩さんは出版取次の鈴木書店の人である。

図書館に勤めていた頃、新刊コーナーに並べる本を魅力的にしようと情報をいただいていた。毎日手書きの情報紙「日刊まるすニュース」がファックスで送られ、選書に活用した。その情報紙自体を新刊コーナーに置き、利用者に情報提供していた。これから発行されようとしている面白い本の情報に毎日ワクワクしていたのを思い出す。

年賀状のやり取りくらいでお会いしたことはなかったが、その年賀状のやり取りもなくなって久しい。

葉書が何枚も見つかり、葉書に向かって感謝した。

アナログのつながり

私が水越さん、小田さん、杉本さんと出逢ったのは別々のきっかけ・時だったが、後に水越さんから「若い頃、同じ書店で働いていた」と聞いて驚いた。私にとっては不思議な縁である。

3人それぞれが夢を語り夢に向かって進んでいる時代だった。

手紙には、メールとは違う力があるのかもしれない。

水越さんのように和紙に筆で綴るのも、上手に書けるはずはなくとも、いいかもしれないと思う。

そういえば、仕事での名刺交換の際に、胸ポケットから小さな筆ペンを取り出し、一筆書いて渡している若い人がいた。

30年前の手紙であっても、そこには未だ何かの力が宿っている。それを今、生かしたいと思う。

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