延命治療についての判断 1月11日

懐かしい時を求めて

母が腸閉塞の手術をしてから1週間が迫っている。

医師との面談で、今後悪いケースを辿った場合の家族の考えを聞かれた。

腸閉塞による吐しゃ物で誤嚥性肺炎を起こしており、術後に抗生剤で治療しているが、自発呼吸を補助するために人工呼吸器をつけている。

マスク式ではなく、管を口から肺に送っており、それが1週間になろうとしているため、外すタイミングをはかっているとのことだった。人工呼吸器も長期間装着すると弊害があり、口からの送管は患者にとっての負担も大きいとのことだった。

肺炎の数値(何の数値かは不明)は、術後21から半分以下になり改善との説明。

人工呼吸器の補助を徐々に弱めており、現在はほぼ自発呼吸で酸素飽和度が95~97ある。

「人工呼吸器を外した後に容態が変わった場合、再度人工呼吸器を装着するか」というのが質問の核心であった。医師の頭の中には「回復に向かう治療」と「延命治療」がある程度区分できているようだが、素人には難しい。

再度人工呼吸器を装着し、肺の状態がよくなったところで再度外すという選択もあるが、一般的には状態は悪くなるようである。再度外すところまで容態が改善せず、人工呼吸器をつけたまま生きることになる可能性もある。

現在母は、夜間は意識のレベルを落とす薬を投与されているようだが、日中は瞬きをし、私達の顔を目や首で追い、時折頷くような仕草もする。こういう状態で命を終わらせる決断はできない。「意識のレベルを落とすこともできます」と言われたが、それは前段の判断と同じである。

母は苦しさの中で、それを終わらせるために死を選ぶだろうか。苦しさにも程度や段階があり、事前に決めておくという「リビングウィル」は、自分自身の場合を想定しても難しい判断になる。

患者本人が意思表示できないから代理の家族に聞いているのだが、単なる「延命治療」であればしなくていいと考えるが、その「単なる」の判断が素人にはできず、そこは医師からもっと情報提供して欲しいと後から思った。

妹が「もう一度母と話をしたい」と言った。それは発声できるまで体が回復することが前提であり、そうなることは、私の願いと同じである。

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