髪が伸びてうるさくて仕方ない。最後にプロに切ってもらってから1年も経つだろうか。
身近な人に髪を切ってもらう
嫁に行った娘に切ってもらうのが慣わしになっているが、娘はこども会やら孫の部活やらで実家に帰ってくることが少なくなった。妻にお願いしたら「いいですよ」と言いつつ、1000円でカットする店を案内した。1000円か、中国産を我慢すれば鰻が買えるなと思う。
お気に入りの美容院、床屋はあるが、何しろ人と会うことがないので、しゃれる必要がなくなった。「そういうのを老化と言うんですよ。そうはなりたくないですね」という声が世間一般であろう。
とにかくそんなことで忙しい妻の貴重な時間を奪うわけにはいかない。「よし、バリカンを買って頭を丸め、一からやり直そう」と何度も思ったが決心つかず、自分でハサミを使ってバサバサと切り落とした。お~なかなか器用だねと、鏡の中の自分を褒めてやる。妻も「器用ですねぇ」と褒めたが、本心は面倒なことをせずに済んだとほっとしているに違いない。
漫画家・つげ義春は床屋嫌いで奥様に髪を切ってもらっていたようだ。「義男の青春・別離」(つげ義春,新潮文庫,1998)の作品「夜が掴む」に、家を出た妻が持ち出した風呂敷の中身が夫の髪で、「もったいないから ためておいたのよ」「売ろうと思って…」「私一文なしだから これくらい持っていってもいいでしょう?」というセリフがある。
長い髪であれば寄付して人の役に立つこともあるだろうし、それが婦人のものであれば漆の筆として活用されることもあるだろうが、短い髪の使い道は未だに知らない。私も切り落とした髪を見ては、もったいないと思っている。
つげ義春の時間
「貧困旅行記」(つげ義春,晶文社,1991)に、つげ義春が家族旅行で宿泊した宿で、宿の主人からサインを求められ、自分の名が見ず知らずの他人に知られていることにうろたえるシーンがある。
「つげ義春日記」(つげ義春,講談社,2020)では、昭和53年6月13日の日記に「銀行でもそうだ。何気ない風を装って雑誌を見るふりをしているが、神経は名前を呼ばれることに張りつめ、だんだん自分の番が近づいてくるとドキドキする」「それに自分は風采が不潔なのも恥ずかしい。といって清潔にするのも自分に相応しくないと思うので、人前に出るのは苦手でならない」と記している。
私は4月1日から積極的に引きこもったわけだが、最近、買い物などで外出することを考えただけでドキドキする時がある。家族以外と直接顔を合わせて会話するのは月に1回あるかどうかであり、会話する能力が急激に劣化したことが原因ではないかと思っている。
昭和55年4月15日の「つげ義春日記」には、精神科への電話を切ったあと、奥様が「私もお父さんは少しおかしいと以前から思っていたのよ」といって泣き出すシーンがある。深刻な状況ではあるがどこかユーモラスな感じもする。
外部との接触が減ることに比例して家庭内の人間関係は濃密になり、家族一人一人の存在は大きくなっていく。しかし外に出れば、自分自身と社会との距離が大きくなり、自身の存在が限りなく小さくなっていくのを感じる。それは心地よいとは言えないため、さらに外部との接触を避けるようになる。
そしてそこに病が発生すれば、その比重はとてつもなく大きなものになるが、つげ義春と奥様と息子3人の濃密な関係の日々は、私にとっては憧れとも言える懐かしい時間に思えてならないのである。
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