物からの解放 9月4日

懐かしい時を求めて

所有物を減らして身軽になることは、理想を現実に変えなければならなくなってきた。色々なものが身の回りにありすぎて息苦しい。それでいて新たに物を作りだしているのだから、自分自身、一貫性がなく質が悪い人間だと思う。

大人の隠れ家が出来たら、そこに処分品を置き、欲しい人に譲っていくのがいいかもしれない。雑貨、ミニカー、書籍、文具…。ネクタイの山もどうしたものか。少しカルトナージュで使ったが、とても使いきれない。最終的にはごみに出して終わりだろうけれど。

それでいながら、書店で本を買い込み、新刊本のインクと紙の匂いを吸い込みながら読破していく未来を楽しみにしているのだ。目をつぶっていても、「これは文芸春秋だな」といった具合に、すぐに出版社がわかる匂いがいくつかある。古書では味わえない。

人はどうしているのだろう。そもそもお金を支出すること自体が慎重に見える。物がありすぎて困っているという話は聞いたことがない。溢れる物を見て、ここにお金を使わなかったら、どれだけお金が残っていただろうかとため息をついても後の祭り。お金が残る人とそうでない人の違いは、こういうところにあらわれるのだろう。

腕時計を集めている人がいる。私も少しだけ買いそろえたことがあるが、それを見た後輩が「腕は2本しかないから、それ以上持っていても仕方がないでしょう」と現実的なことを言い、なるほどと思ったことがある。左右の腕に時計を巻き、足にも巻こうかと思ったが、馬鹿馬鹿しくなってやめた。

男の人の方が収集癖があるように思うが、妻は切手や便せんを大量に買い込んでいる。職場の先輩(女性)が付箋を収集していることには、退職の時に気がついた。でも高価なものを集めるのは男の人の方が多いように感じる。私自身は、そういうところにお金を使うことで、生身の自分と向き合うことを避け続けてきたようにも思う。

そういう意味では、やっと自分と向き合えるようになったのかなと思う。

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